子どもとの信頼関係、ありますか?
ごきげんよう、渡辺貴子です。
今回のテーマ:「子どもとの信頼関係」
以前の私には、この言葉の意味すらよく理解できてなかったように思います。
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昔々、私が中学生の頃のお話。
私は担任のM先生が大嫌いでした。
何度も呼びだされ指導されたからです。
それは、成績優秀で生活態度もしっかりとした生徒であり続けるための指導でした。
中・高一貫教育の学校で、大学もそのまま〜という生徒が多かったので、仲の良い友人たちもノンビリしてくるんです。
私も、みんなと同様に楽しみたかった(親の目も気にする良い子の私はそれもできず…)。
先生は私の成績不振を友人たちのせいだと思い、引き離そうとしました。
熱心な指導に対して、何ともいえない涙が流れるようになった。
友人を悪く言われて悔し涙が流れた。
私の涙を見て、先生は焦って言うんですよね。
「どうして泣くの?あなたのことを思っていってるのよ。あなたならできると思って言ってるのよ。」
そして、先生の想いと反比例するように、どんどん心を閉ざしていく私…。
振り返って眺めてみれば、そこには信頼関係が存在していないことがよくわかる。
だから、先生の話がまったく私の中に入ってこなかった。
私の話を、気持ちを、思いを、考えをぜんぜん聴いてくれない。
わかろうとして、わたしを見ていない。
一方的に伝えるばかりで、こちらのことを聴こうとしていない。
子どもって、すぐに分りますよね。
「この人、何を見てるのかな?」って感じだったんだろうな。
自分が感じていることや心の奥底にある本当の気持ちを話してみようという安心感なんて、ゼロ。
表面的な会話で、その場をなんとか終わらせることしか考えてなかった。
あなたのためよと時間をさき、懇々と熱心に語っても、相手の信頼が得られてなければ結局なんの成果もないという事実。
そして、あの頃の私に残ったのは、「やっぱり聴いてもらえなかった」という不信感、理想の押しつけに対する嫌悪感、山ほどのダメ出しを受けとってしまった自己否定感…。
そして私は親になり
親子の間には理屈ぬきに信頼関係ってあるものだと傲慢にも思い込んだ。
母親は、わが子を自分の命にかえても愛しているから。
そして、子どもこそ無条件に母親を愛しているから。
その間柄に「信頼関係」というワードすら思い浮かばなかった。
当たり前すぎて…。
でもね、違ってた。
「この人は信頼できる。自分のどんな感情も受けとめてくれる。どんな自分もさらけだせる。ありのままの自分で愛される」
という感覚って、関係性の中で築いていくものだったんですね。
そこにあるのは、一人の人として、一人格として尊重し合う対等の関係性。
二人の娘が拒食症になり、不登校になったとき。
まずは、そこからのスタートだったような気がします。
「愛されているという感覚すら揺らいでしまうほどの関係性」を変化させる。
どんなに相手のことを想っていても、『気持ちが通じない感覚』ってツラいですよね。
本当は大好きなお母さんと『気持ちが通じない、わかりあえない感覚』ってツラいですよね。
どんなに子どものためを思っていても、その子がそう思えるような伝え方をしなければ結局それは、その子にとって、ないに等しい。
わが子が抱いているそんな感覚を
「わかってもらえる…」という居心地の良い感覚、安心感に変えていく。
そこに力を注いでいく。
そのために、まず最初にわたしがしたことは…。
その喋り過ぎるお口にいったんチャックをすること。
そして、聴くに徹すること。
「お口にチャック」意識してても気がつくと喋ってます。
そのことに、気づくこともまた前進なのかもしれません。
子どもの目を見る
目線の高さを合わせる
呼吸を合わせる
勢いを合わせる
感情を合わせる
手を止めて向き合う
私たちは、子どもにいっぱい喋ってきた。
だから、こんどは聴こう。受け止めよう。
なんのために?
あなたは愛されているのだと伝えるために。
信頼関係を、育てていくために。
まずは、そこから
最後まで読んで下さって、ありがとうございます。