【拒食症・不登校】幸せの女神は「○○○○な姿」でやってくる | 『公認心理師』渡辺貴子トレーナー

【拒食症・不登校】幸せの女神は「○○○○な姿」でやってくる

ごきげんよう、渡辺貴子です

私たちが生きる時間。

何が正しくて、何が間違いなんてものはないんじゃないかなって、私は思っています。

だって、すべて学びだから。

 

大学3年生次女の現在。

授業に、部活に、学祭の実行委員に、バイトに、遊びに、ボーイフレンドに。

就活のことも頭にありながら、日常こそが先生。

「生きてるね!」

彼女を見ていて、そう感じます。

喜怒哀楽。見えるもの聞こえるもの。見えないもの、聞こえないもの。

日々の中で、心が教えてくれるさまざまを、享受している。

 

当然、失敗も多々あるそうです。

素敵だなと感じるのは、それを失敗と捉えていないこと。

それによって過度に自分を責めないこと。

そして、周りを責めないこと。

つまり、ニュートラルであるということ。

 

一瞬は落ち込む。それは避けられない。

そして次の瞬間、切り替える。

 

失敗と思われる、そんな中でも、よかったこと。

上手くいったことに目を向ける。

そして

よし、それを学びとして、つぎはこう変えていこう。

その柔軟さが清々しいな、と感じます。

何が正しくて、何が間違いなんてものはないんじゃないかなって思います。

だって、すべては学びで、すべては経験なのだから。

次女が不登校中、また、復活してから半年くらいの間。

髪を振り乱して怒り狂った表情で叫び散らし、泣き叫び、耳を塞ぎたくなる言葉を吐き出し、

部屋がメチャクチャになるまで暴れることがありました

毎日

毎日

毎日

そんなことがない日はなかったな。

そういう時期がありました。

私は、朝が来るのがいやだったな。

憂鬱でした。

「今日は、大丈夫だろうか…」

それでも

「この穏やかな時間が続けばいいのに…」というような、娘の可愛い笑顔が見れる瞬間もあったりして。

しかしそれも束の間、また何かの地雷が爆発してしまうのでした。

地雷がどこにあるのかがわからない。

つらかったー。

「どうしてそうなるのんだろう?」

「何が爆発のきっかけになるんだ?」

考えれば考えるほど、最後には

「どうすりゃいいのよ!ママだって頑張ってるのよ!!」

そなんふうに、怒りが湧いてきました。

そうやって抑えんだ怒りは、噴き出したとき制御不能になります。

感情の大爆発。

わかっていても、もう止められなかった。

娘に感情をぶつけるだけでは収まらず、自室に籠り、自分の顔にクッションを押しつけながら雄叫びをあげました。

相当口汚く叫び散らしていたと思います。

数年経ち娘が教えてくれました。

「あの時!すごく、すごく、怖かったんだからね。もしもママが私を殺しにきたらどうしよう…って怖くなった。部屋のドアノブに細工をして、それでもママが入ってこれないようにドアの間にいろんなものを積み上げてたんだから!」

ああ…

どれだけ、怖かっただろう…

どれだけ、心細かっただろう…

どれだけ、傷ついただろう…

二人の娘たちが次々に「拒食症」や「不登校」に。

娘たちの辛そうな様子を見ていながら、それでも、ツラいのは私だと、いつも思っていました。

娘たちが苦しめば苦しむほど、私が苦しくなってしまっていました。

だから、いつまでもその苦しみから抜け出そうとしない娘に苛立ち、彼女たちの苦しみを取り除こうと必死になりました。

そしてそんな私に反抗的な態度を見るたびに、「なんでよっ!?」って怒りも湧いてきた。

その怒りの奥底には「苦しんでいる娘に役立てない」と感じる、母としての悲しみがあったのだな…と、今ならわかります。

そしてね、今ならわかるんです。

思い出しただけで胸が苦しくなるような過去のやり取りの数々も、すべては不器用な愛の交換だったんだなって。

関わり方を試行錯誤するのも、上手に伝えられずに遠慮がちになってしまうのも、上手くいかなくて自分を責めるのも、「なぜ、なぜ、なぜ」と過去にとらわれ悶々とした時間を過ごすのも、すべてが「愛」ゆえなんだと思うのです。

「ママ!どうしてわかってくれないの!」

「ママ…私は生きていていいの…?」

そう、泣き叫び、悪態をつき、暴れるのも、すべて「愛」ゆえなんだと思うのです。

 

理解されたい

大切にされたい

そして

役立ちたい

 

私たち人の根源には、それらがあると言われています。

大切な私、愛される私

役立てる私

 

わたしたちは、存在そのものが祝福されるものであるし、存在そのものが誰かを幸せにしている。

わたしたちは、自分と他者に貢献できる存在なんです。

そう、気づくための大切な時間だったのかな…と思います。

幸せの女神は「不運な出来事」の姿でやってくる

だからね、伝えたいんです。

あなたがもし、毎日がつらく、苦しいなかで必死に頑張っているのだとしたら。

この日々をどのように受け取るのかは、自分次第です。

そのど真ん中にいる時には、それらを肯定的に受けることなんてなかなかできないと思います。

だからこそ、サポートしてくれる人を見つけてほしいと思うのです。

あなたがお子様に寄り添うように、
あなたに肯定的に寄り添う支援者を見つけてほしいと思っています。

「不登校」や「拒食症」が悪いもの排除するものとして捉えるのではなく、そこから受け取れるたくさんの学びをサポートしてくれる人を見つけてほしいと思うのです。

2011年春を皮切りに、長女が拒食症、次いで次女が不登校に。

そして、私たちはそれらを克服に導くことができました。

私が目指していたものは「完治」や「復学」ではありません。
その先にあるものです。

子どもたちが笑顔で自らの人生を「Yes!」と肯定できること。

「完治」も「復学」も彼女たちの人生の通過点です。

それらを乗り越えたとしても、人生の中で乗り越える課題は起こります。

それら課題を、自らの人生をいっそう豊かにしてくれる出来事として向き合える人に。

自らの人生で起こること、出会う人、ものに感謝できるように。

そんな人生を生きる、自分自身を大切にできるように。

そして、それは何よりも、わたし自身のそれなのです。

愛する大切な子どもに幸せになって欲しかったら
方法はたった一つ。

親が幸せになることです。

愛する大切な子どもに「自分を大切に」して欲しかったら

方法はたった一つ。

親が自分を大切にすることです。

私たちが、子どもたちに教えられる最も大切なことの一つは

「自分を大切にする」こと。

生きていれば、試練は続きます。

その度に、何かを学び成長できます。

人生に感謝できることがずっとずっと続くのです。

自分にも、周りにも。

それこそが、幸せ。

娘たちが、命をかけて教えてくれた大切なこと。

そして娘たちのことがきっかけで学ぶようになった、心理学、コミュニケーション。

必要とするあなたに、シェアさせてください。

もしも、あなたが辛い状況であるならば。

もしも、現状を変えたくてどうしたいいかと思っていらっしゃるならば。

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