拒食症、不登校になった娘たちが教えてくれたこと | 『公認心理師』渡辺貴子トレーナー

拒食症、不登校になった娘たちが教えてくれたこと

八木重吉

ずいぶん以前に、運転中のTVでながれていた

「にほんごであそぼ」で、この詩を耳にしました。

八木重吉さんの「草にすわる」

ひどく、心をうたれたました。

大いなるものに圧倒された、感覚。

谷川俊太郎さんが、この『草にすわる』に触れた詩を書いてらっしゃいました。

間違い

わたしのまちがいだった

わたしの まちがいだった

こうして 草にすわれば それがわかる

そう八木重吉は書いた(その息遣いが聞こえる)

そんなにも深く自分の間違いが

腑に落ちたことが私にあったか

草に座れないから

まわりはコンクリートしかないから

私は自分の間違いを知ることができない

たったひとつでも間違いに気づいたら

すべてがいちどきに瓦解しかねない

椅子に座って私はぼんやりそう思う

私の間違いじゃないあなたの間違いだ

あなたの間違いじゃない彼等の間違いだ

みんなが間違っていれば誰も気づかない

草に座れぬまま私は死ぬのだ

間違ったまま私は死ぬのだ

間違いを探しあぐねて

谷川俊太郎

機が熟すという言葉があります。

どんなに人を愛していても、その愛は相手には伝わらない。

また、どんなに深く愛されていても、そのことに気づけない。

私は、自分のことばかりだったのです。

こんなに娘たちのことを愛しているのに。

なんでわかってくれないのかと。

▶︎父への想いと、娘たちから学んだ無条件の愛と許し

 

わたしの まちがいだった

こうして 草にすわれば それがわかる

 

目の前にいる長女が死のうとした瞬間

目の前にいる次女が絶望の叫びをあげた瞬間

亡くなった父の生命を感じた瞬間

 

あの瞬間、私は「草にすわれた」のだと思う。

 

コンクリートから出、椅子から降りた世界にあったのは

圧倒的な愛とゆるしだった。

 

長女にかけた言葉も、

次女にかけた言葉も、

亡くなった父に伝えた言葉も、

すべては同じだった。

「わたしが まちがいだった」

(・・・みたいなこと)

そして、そんな瞬間、お互いの、「機」と「時」とが結びついたのだと思う。

まさに、機が熟した瞬間だったのだな。

「草にすわる」というこの短い詩が、私の心をひどくうったのは、私が体験した世界を端的に的確に表現していたからだ…と、このブログを書いていて改めて気づきました。

カテゴリー: 心のこと