父への想い:娘たちが教えてくれた、無条件の愛と許し
ごきげんよう、渡辺貴子です。
愛し方を知らずに誰かを愛そうとしても、愛すれば愛するほど、愛する人を傷つけてしまう
by ティク・ナット・ハン
ベトナムの禅のお坊さんのティク・ナット・ハン師の言葉です。
大好きなかたです。
私は物心ついたころから父のことが大嫌いでした。
母がよく泣いていたからです。
父はとても権威的なひとで、母はいつも父に気を遣っていました。
私と兄は幼い頃から、いつも父の機嫌を損ねないようにしていました。
兄は思春期になると、父とぶつかるようになりました。
痛々しいほどに、激しく父にぶつかっていました。
母はいつも、オロオロして、そして泣いていました。
私はいつしか
「お父さんがいたら、お母さんはいつまでも幸せになれない」
そう思うようになりました。
大人になり、家庭を持つようになっても、その思いは変わりませんでした。
むしろ、離れて暮らすようになってその思いは一層強くなっていったように思います。
いつでも母を助けれる距離にいてあげられない。
そう思っていました。
そして、ある日。
突然父が亡くなったのです。
母からの知らせに
「ああ、これでやっと、お母さんが幸せになれる」
私は、そう思ったのです。
(ところが不思議なもので、父が亡くなっても、母の不幸を感受する能力は変わりませんでした)
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長女が拒食症になり、
次女が不登校になり、
愛しても、愛しても、愛が伝わらないもどかしさを知りました。
愛する者たちに、上手に愛を伝える術を持たない自分を知りました。
誰よりも大切に思っている人を、無自覚に傷つけてしまっていたことを知りました。
自分がどれだけ未熟であるかを
子育てをとおして知ることになりました。
親もひとりの未熟な人間であることを
自分が親をさせてもらって、初めて知ることができたのです。
二人の娘が拒食症や不登校にならなかったら気づけなかったことです。
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父は、生まれてすぐに母親を病気で亡くしました。
父親はすぐに再婚し、父は母方の田舎に預けられました。
父は、両親の温もりを知らなかったのです。
愛し方を知らずに誰かを愛そうとしても、愛すれば愛するほど、愛する人を傷つけてしまう
父がどんな思いで
母を愛そうとしていたのか。
父がどんな思いで、私や兄を愛そうとしていたのか。
私たち家族を守ろうとしていたのか。
今、思い出されるのは、幼い頃に父の膝に座り見上げた時の父の笑顔です。
私が甘えた時の、恥ずかしそうなはにかんだ笑顔です。
私が猛烈に反抗した時の、寂しそうな顔です。
たしかに、愛されていたんだ。
望むかたちではなかったし、成熟した愛ではなかったけれど、
あれは父にできる精一杯の愛し方だったんだ。
娘たちとの不器用な愛の交換の日々が、父の愛に気づかせてくれた。
間に合わなかったけど、この世に父の肉体はなくなってしまったけれど
それでも、愛を伝えることができることを私は知った。
そして、不思議なことがおきた。
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父の愛に気づき、父の死から7年を過ぎて父に感謝を伝えたら
母と父も愛でつながったのです。
家族とは、不思議な縁です。
生きているうちに伝えられなかった言葉を、いまは空に向かって伝えています。
お父さん、ごめんなさい
お父さん、ありがとう
お父さん、愛しているよ
お父さん、いつもわたしたちを見守ってくださりありがとう
お父さんの娘で、よかった
私たち家族が幸せに生きていることを、父も喜んでくれていることを感じます。
お父さん、ありがとう。