本音と建前で親子ゲンカに〜不登校娘が教えてくれたこと
大切なあなたへ
ご覧いただきありがとうございます。
渡辺貴子です。
ママ、わたしを見て!
わたしの言葉じゃなくて、わたしを見てよ!
言葉じゃないんだよぉぉ
なんで、気づいてくれないのぉぉ
こんなふうに言っちゃう、わたしを見てほしいんだよぉ!
言葉の奥にあるものは…言葉に振り回される私たち
不登校から復活した娘が、当時
涙ながらに伝えてくれたことです。
どんなにコミュニケーションを学んでも
それでも、つい娘の言葉に応戦してしまう。
相手が発する言葉(情報)そのものに
つい、反応してしまう…。
娘の言葉にたいして、
つい、闘ったり(応戦)逃げたり(ごまかし)を
繰り返していました。
落ち着いた目で観察すれば
その表情や姿勢や声のトーン(非言語)で
感じれることがたくさんあるはずなのに
相手の言葉を頼りにしてしまう…。
私の中に隠された期待があったからだと
今ならわかります。
えっ、そんなこと言ったって…
なによ、今さら…
〇〇って約束したじゃない…
ママにどうしろっていうのよ…
それって、まるで言いがかりじゃないの
いったい何様なの?
そんな悲しいこと言わないでよ
言ってることが違うじゃん…理不尽な…
お子さんとのやり取りで、こんな気持ちになることありませんか?
本音って、なかなか言葉にできない
本当に伝えたいことって、なかなか言葉にできないんです。
それって、特別なことではなくて、日本人の特徴でもありますよね。
行きたくない集まりに、「行きたくないから参加しません」と言う人は少ないと思います。
和を大切にすることを学んできた日本人は、率直に本音を言う人の方が少ないかも。
ましてや「今までずっと否定されてきた」と本人が感じていたり
「否定された」と感じる経験が過去にあったらなおさら。
そんな中で、やっとの思いで何か(大抵、親から見ればハチャメチャな内容)を言ったとしても、親から窘められたり、怒られたり、否定されたり、正論で諭されたり、説得されたり…
ウンザリさたり、なかったことにされたり、誤魔化されたり…
だからね、本音ってなかなか言えないんです。
怖いんです。
本当のことを言って、
否定されたりガッカリされたりするのが。
そして、
子どもたちもそうかも知れないけど
私たちもそんな経験、山ほどあるんじゃないかな。
本当の気持ちを声に出さずにいるうちに
私たちは
本当の本当の本当の気持ちすら
意識のずっとずっと底にしずめて
蓋をしてしまいます。
私たちは、本音と建前の世界で生きている
人間には本音と建前があります。
本音ばかりじゃ周りと衝突してしまうだろうし
だから上手に建前も使いながら私たちは生きてきたんじゃないかな?
どんなに疲れていても
「大丈夫だよ」って言ってみたり
行きたくないランチ会でも
「楽しみにしてまーす」ってお返事したり
別に欲しかったわけでもないけど
「ありがとう!これ欲しかったんだ!」って相手を喜ばせてみたり
しんどくて堪らないのに
「大丈夫です!頑張ります!」って言ってみたり
助けてほしいのに
「最後まで責任もってやらなくちゃ」ってなったり
こうやって生きてきたんじゃないでしょうか?
いつのまにか、相手にも自分にも本音を言えなくなってしまう…。
これは本音?
これは建前?
だから、言葉という情報に頼ったコミュニケーションて
上手くいかないんです。
さっきは◯◯って言ったじゃないっ!!!
〇〇としか、言えなかったのかも知れないんです。
〇〇って言えば、ママが喜んでくれるんじゃないか?
と思って言っただけなのかもしれないんです。
ママを安心させたくて、〇〇と言ったのかもしれないんです。
本音と建前があるから
すれ違いが起きてしまいます。
だったら、最初からそう言えばいいのに…。
そう、わたしはよく思っていました。
そして、子どもにそう言われたこともある。
子どもが発する言葉の裏側にある思いや背景。
私たち親が発する言葉の背景にある生きる価値観。
だから、上っ面の言葉のやり取りじゃ
上手くいかないんです。
こうやって表現することで、
この子は何を伝えようとしているのかな。
この子は今、何を感じているのかな。
こんなふうに子どもの話を聴くことができたらいいですね。
そして子どもが本当に感じていることを、少しずつでも言葉で表現できるようにサポートできたらいいですよね。
ママ、わたしを見て!
わたしの言葉じゃなくて、わたしを見てよ!
言葉じゃないんだよぉぉ
なんで、気づいてくれないのぉぉ
こんなふうに言っちゃう、わたしを見てほしいんだよぉ!
そして、私たちも!
建前ではない、自分自身の本音の心の声を
自分が聴いてあげること。
まず、大切にしなければと、思います
自分にできないことは、人にはできませんもの。